東京都小笠原支庁のお招きで行って参りました
ホスピタリティアイランド
小笠原

「おがさわら丸」船上にて − 船長さんにインタビュー、快適な船室
父島 (1) − 漁協と農協の話題
父島 (2) − 講演会と婦人会のおもてなし
母島 − 母島のおもてなしと講演会
また会う日まで

南島 扇池

統治権をめぐって翻弄され続けた島の数奇な運命は、そこに住む人々の心をこの上もなく優しく強靭なものにしていったのでしょう。今回は、島の方々のホスピタリティマインドと珠玉のような自然に包まれた至福の1週間を過ごすことができました。新世紀に先駆けてお届けするミレニアムレポートです。(12月16日〜12月21日)
小笠原の歴史をちょっと!
どうして「小笠原」なの? 小笠原民部少輔貞頼という人が400年くらいまえに発見したといわれている。そこで、小笠原島という名前がついたわけ。その後、白人とハワイ系の人が住みつくようになった。これが237年後のこと。
日本、「ものすごーく」 頑張る。 明治になってから、「ここは日本の領土だぞー」と主張。それが国際的にも認められ、明治13年には東京都の管轄に。何せ豊富な自然資源に恵まれているので、政府も産業振興に力を力を入れる。
突然「どけーっ」て言われたって。 順調に推移するかに見えた矢先、太平洋戦争が激化。島民6,886人に本土への強制疎開が命じられる。昭和19年のことだ。島民を戦禍に巻き込みたくないという軍の意向だが、ほとんど着の身着のままで本土につれていかれた人々の心中は察するにあまりある。そして24年もの間、望郷の念を抱きながら知らぬ土地で生きることになる。
今度は「戻ってこーい」だってさ。 昭和21年から米軍の直接統治下におかれる。昭和43年の返還協定調印までの24年間それが続く。「戻っていいぞー」って言われたって、いろいろな事情がある。全部が全部戻れるわけでない。また、島の魅力に引かれて新しく島にやってくる人もいる。
というわけで、みんな仲良く住んでいます。 そういったさまざまな背景を持つ人たちの「呼び名」っていうか、用語があるので紹介しておこう。

(1)在来島民・・・欧米系の伝統を持つ島民。返還までの20年以上を英語の文化圏で過ごしたため英語が堪能。

(2)旧島民・・・戦前から小笠原にいた日系島民で昭和43年まで帰島が許されなかった人々。

(3)新島民・・・戦後、復帰してから小笠原に住み始めた人々。

(4)半島民、臨時島民・・・長く滞在している観光客、観光住民。バイトアンドレジャーと呼ばれるグループ。